その男は、実に計画的で、真面目な人生を送ってきた男だった。
コツコツと働き、無駄遣いをせず、手元にはそれなりの資金が貯まっていた。しかし、世の中はひどい物価高である。銀行に預けておくだけでは、自分の資産が目減りしていくような、妙な焦燥感に駆られていた。
そんなある日、男は素晴らしい噂を耳にした。 「これからは、人工知能(AI)の時代だ。その頭脳を作るには、特別な箱が必要らしい。そして、その箱の土台を作っている、きわめて優秀な会社がある。名前は、マネドンという」
男はさっそく調べた。なるほど、グラフは右肩上がりに天を突き刺すような勢いで伸びている。世界中の大企業が、その会社に頭を下げて土台を買い求めているという。
男の胸は高鳴った。 「これだ。この会社に、私の資金のすべてを託そう。いくつものカゴに卵を分けるなんて、臆病者のすることだ。一番強いカゴに、すべての卵を盛ればいい」
男は全財産を、その一つの銘柄に突っ込んだ。
最初の数日間、男は全能感に浸っていた。スマートフォンを開くたびに、電子の画面の中で資産の数字が膨れ上がっていく。「私は天才投資家だ。未来を見通したのだ」と、男は贅沢なウイスキーを口にした。
しかし、夜は永遠には続かない。ある朝、男がいつものように画面を開くと、緑色だった数字が真っ赤に染まっていた。
「おや、何かの間違いだろう」
男は首を傾げたが、次の日も、その次の日も、数字は滝のように流れ落ちていった。海の向こうの国で、誰かが「AIの成長スピードが少し鈍るかもしれない」と呟いたらしい。ただそれだけの理由で、男の全財産は、みるみるうちに半分に縮んでしまった。
男はパニックに陥った。 「なぜだ! 会社は何も悪いことをしていない! 毎日フル稼働で、素晴らしい土台を作っているはずなのに!」
男は夜も眠れなくなった。食事の味もしない。画面の数字が1円下がるたびに、自分の寿命が1日縮むような恐怖に怯えた。男にとって、その会社はもう「未来の希望」ではなく、自分を締め上げる「電子の檻」になっていた。
ついに精神の限界を迎えた男は、震える指で売却のボタンを押した。大損を確定させた瞬間、男の口座に残ったのは、かつての半分にも満たない、恐ろしく寂しい数字だけだった。
男は深くため息をつき、スマートフォンの電源を切った。外に出ると、5月の爽やかな風が吹き抜けていった。
「まぁ、いいさ。これでようやく、ぐっすり眠れる」
男は、妙に晴れやかな気分で歩き出した。全財産と引き換えに、男は「平穏な日常」を買い戻したのだ。
その日の夕方。男がなんとなく立ち寄った電器店のテレビに、ニュース番組が映っていた。アナウンサーが、明るい声でこう告げていた。
『本日、日本の株式市場は再び急反発。注目された半導体大手のマネドンは、一時ストップ高まで買われ、過去最高値を更新しました――』
「いつもいつもこの繰り返しなのさ。」男はとっくに気がついているがやめられない病気なのだ。
男のポケットの中で、冷たくなったスマートフォンが、静かに夕日を浴びていた。
今度はやめられるだろうか・・

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